栄養学を具体的に学んでいく前に、栄養とはそもそも何なのか、基本となる『栄養』の定義について理解していきましょう。
栄養の概念
『栄養』とは、生物が食べ物などを取り入れてその栄養分を生命活動に営む行為のことを言います。栄養素などの言葉と同義として捉えられる場合もありますが、栄養学では太字の定義の方が当てはまります。
この『栄養』を行う事は体の機能を維持する為だけではなく、体の成長を促すためにも行われるのでどの生物にも必要な行為なのです。
ですが、食べた物が正常に消化・吸収されるかどうかは種別や固体の差によって変化が現れます。分かり易い例だと、肉食動物は草や葉を好んで食べませんし、草食動物の方も肉を食べません。
雑食である人類はどちらも食べますが、人によっては肉食に適した体や菜食に適した体を持っていたりと、遺伝や育った環境などで個体差が現れます。それらを理解し栄養素を組み合わせて健康へと導くことが出来てこそ、栄養学の実現となります。
健康の概念
健康は人によって捉え方が変わって来るので、確立した定義が難しくなってきますが、ひとまず「健康」とは何かを考えるために、世界保健大憲章の前文をご紹介します。
「健康とは虚弱でない、あるいは病気でないというだけでなく、身体的にも、精神的にも、そして社会的にも十分調和のとれている状態をいう」
これは世界保健機関(WHO)が結成されて、そこで宣言されたものが有名です。平成10年には原文の一部が変更されましたが、基本的に意味はさほど変わっていません。
健康だと判断される要素は身体の構成、体内での消化・吸収・代謝、体力、精神機能、行動力、社会的役割の達成能力など、様々な点が挙げられます。これらがそれぞれ異常なく働き、全てを総合して社会的に適合できる能力が『健康』だと考えられています。
しかし、現在では個人の価値観や人生観が健康に対する考えを大きく左右しています。このような観点が増えたことで健康への捉え方が多様化し、中には一病息災が健康だと考える人もいます。
日本の持つ健康観は大陸から伝わって来た仏教や道徳理念を体系化した儒教が大きな影響を与えています。どちらも精神的構造を強調した考え方なので、日本では「体の健康」よりも「心の健康」に重心を置いている割合の方が高いです。
とは言ってもこれも一例に過ぎず、日本内でも様々な考えを持っている人はいますし、世界中に目を向ければその数は計り知れません。
歴史を振り返ると、様々な疫病が蔓延している時期には「体が健康であれば健康」と考えられた時代もありますし、そのような時代でもカトリック教など宗教に極めて熱心な信者は、以前にも増して精神的な安定を健康とし、重要なものと捉えることもありました。
このように時代によって考え方が変わるように、健康の概念は民族や文化など、生活スタイルによって大きな変化が見られます。
現代では「健康」が大切と叫ばれることが多くなっていますが、実はその健康の定義があやふやなものであることをお分かりいただけたでしょうか。
例えば、体のことだけを考え、感情を無視したおいしくない食事を食べて体だけ健康になったが、心は沈んでしまい幸福感を感じられないとしたら、それは健康と呼べないかもしれませんよね。
ですから、正しい栄養の知識を身につけ広めるみなさんは、「本当の健康とは何か」ということをよく考えて、自分なりのしっかりした定義を身につけていく必要があります。
栄養学の目的
栄養学は、ただ各栄養の働きを覚えるだけでは効果を発揮しません。
栄養学は、栄養素を組み合わせて「健康」を達成するための学問です。
健康を達成するためには、それぞれの栄養素がどのような働きをするかを知っている必要はもちろんのこと、それぞれの文化やマナー、栄養の異常がもたらす病気などについて幅広く知っている必要があります。
そのため、これから栄養素そのものの働き以外についても広く学んでいきます。
ですから、くれぐれも健康という大目的を見失うことなく、このカリキュラムを学んでいる間も常に、どうやったら健康を達成できるか?と考えながら、栄養のもたらす効果を頭に入れて行ってください。